合同会社グラウンドサークルの岩松と申します。

現在ですね、私はコンサルタントという仕事をしています。

目次

コンサルタントとして何を支援するか

僕が何をご支援するかというと
お客様が始めることと
それを続けること
をベースにお手伝いをしています。

なぜそういうことをしているかというと
これは、ほんとに僕自身がそうだったんですが

やりたいことがあったり、解決したい課題もあったりしても、
なかなか始まれられなかったんですよ。

で何とか、始められたとしても
なかなか続けるの大変だったんです、ぼく自身。

だからこういうこところ、「始める」と「続ける」が、
ひょっとしたら一番の課題じゃないかなと思って。
ここを徹底的に関わることで

始めていただいて
どうだったら続けられるかを支援しています。

どのように支援するか

今は、顧問契約をしていただいています。

毎月の1,2回の面談と、
お客様から毎日、日報をいただいて
そこにコメントを手書きで入れてお返しするってことを毎日やってます。

毎日、コメントするの、結構大変なんですけど
契約が終了したお客様も含めて
だいたい9割ぐらいのお客様が日報を続けてくださいました。

僕と関わるまで、日報とか書いてないお客様がほとんどだったんですけども

送っていただいた日報に毎日コメントを返すってすると続きます。

ここ僕自慢で、
お客様が実際に続けてくださってることがあるっていうのが
ちょっと嬉しかったりします。

毎日報告書を書く、日々振り替えった後で
毎日日報を書くと、
やりたいこととか
課題とかを意識して続けることになります。

それで、お客様自身の行動が変わって
解決に近づくのかなって思っています。

会社の始まり。作れるけど売れない技術屋時代

はい。
じゃ、なんで、こういうことをやるようになったかっていうと

結構ねえ、いろいろ昔話をすると長くはなるんですが

僕が会社を作ったのは2006年の9月です。34歳の時。
以前勤めていた会社を辞めたのが、2006年の7月。

ちょうど、2006年の11月に結婚式をすることが決まってて
新郎が無職はちょっとマズいなということで
慌てて会社を作りました。

もともとはIT系の人間で、SEとかプログラマーとかやってましたので
会社作って、
自分のプログラムを書く技術を売るっていうか
自分自身を派遣するみたいな形でやっていけば
とりあえず食べていけるかなと思ったんです。

実際に仕事は
それなりにできてたんです、探せばあるので。
だいたい月50万ぐらいはもらえとったんですよ。

ま、会社に50万入って、そこから給料をもらう形だったんですけど
この50万っている数字が増えるかっていうとそうでなく

値上げって話をしても、「5,000円ぐらいかなぁ」って返事で、
これを40歳までしてるのはあかんなと思って。

こういう時に技術屋が考えるのは
自分とこで製品を作るってことじゃないですかね。

僕も一緒。
最初に作ったのは
診療所の窓口でつかう診療報酬請求ソフト。

僕この頃、作れるのは作れるんですけど
売りに行っていらんて言われるの
めっちゃ怖かったんです。

人の目や他人の評価を気にするとかがあって。

だから営業に行って。
診療所をどれくらい回ったかな。
結構回ったんですけど
お医者さんに会えたのは一件だけでした。

営業と言っても、診療所の窓口の方に
チラシを置いて一言だけ声をかけて
逃げるように変えるだけ。

作れるけど売れない
そんな技術屋をやってました。

だからほんとに。
物売れる方、営業できる方っている今でも尊敬してます。

同友会で訪れた転機

売れないプログラマーとして転機があったのは
同友会に入ってからですかね。

2010年。同友会入ってすぐ行くようになったんが経営指針、
経営指針をつくる勉強会です。

僕、同友会では基本的に経営指針しかやっていないぐらい
それしかやってません。

当時、委員長が垣谷さんという方で
勉強会を手伝いにきてくれへんかって言われて
それから9年続いてますね。
今はペースは落ちましたけど。

同友会経営指針では
「ケイロー」さんって呼ばれるお手伝いする役柄、
立場になるんですけど

皆さんの前でテキストの解説をさせてもらいました。
自分がきいたのを一生懸命コピペしてみんなの前で話す。

これを何度かやらせてもらううちに人前で話すとか
セミナーをするってことができるようになりました。

勉強会に参加する経営者とお話する機会も増え、
繰り返すうちに、話を聞くこともできるようになりました。

僕が今やってることのベースをここから沢山もらっています。

なぜ、コンサルタントになったのか

同友会入ったころは
コンサルタントではなくまだプログラマーでした。

同友会に入ったのも
どんなものを作れば売れるかを知りたいという動機です。

そうして1年ぐらい、
いろんな話を聞きまくりました。

欲しいという声やアドバイスやいろいろいただいて、
そのプログラムを作って、試してもらいながら修正して、
形になって、さあって思って、
使ってもらおうとしたら全然値段が合わなかった。
って結果です。

今思うと、
値付けとか、価値とか全然考えてなかったってことなんですが、
当時はそれがショックで。

いいものができたはずなのに、
なんでその値段なの!?
って、ちょっと落ち込むというか、自分は何を作ってもダメだ
みたいな気持ちになったりもしました。

その時相談していた方の一人が、
さっきも名前が出てきた垣谷さん。

同友会でお世話になった方で、
摩耶で保険代理店さんをされていました。

その垣谷さんが、
自分ところがモデルにしたい、よく出来た代理店さんが
高松にあるんだと。

営業さんは、売り込まなくても売れる仕組みができあがってて、
社内の業務でも、営業さんと事務方さんの役割りがしっかりしてて

すごくいい代理店があるから、見に行かないかと言ってくださって、
高松まで連れて行ってくれたんです。

その代理店さんに行って、話を聞いて、見せてもらったんですが、

ここの社内の仕組みってのは
仕事の流れって、
これやって、次にあれやって、その次に
ってなるじゃないですか。

これをきっちり分解していて
そのうえで営業さんがどこまでやって、
事務方さんが何をやって、
引き継ぐときには、何を受け渡して。

そういうことがきっちりと決まっている代理店でした。

これ、すごいなって思ったんですけど、
やっていることって、業務分析とプロジェクト管理だなと。
その時の僕の知識で言うと。

システム開発をするときに
お客さまの仕事の流れを分析するのが業務分析で、

開発を何人かでするときに、誰が何をするか、
今どこまでできているか。そういったことを管理するのがプロジェクト管理。

この、業務分析とプロジェクト管理で、
この代理店さんは回っているのかと感じました。

このモデルにしたいような代理店さんが
どうやってできているかわかる僕は、
この仕組みを作れるんじゃないかと。

これまでプログラムを作るってところで
知らず知らず持ってた
技術や経験も活かせるんじゃないかと

2012年に、これ売れるって気づかせてもらったんですよね。

僕がプログラマーからコンサルやろうと思ったきっかけです。

でも、すぐに売れないですよ

そこから2018年ぐらいの6年間は
結構鳴かず飛ばずを続けてました。

顧問のお客様をいただいて
多少の余裕が出来たのは、この2年ぐらいのことです。

それでも続けてきたこと

売れないとき、使ってもらえないとき、
自分はダメだっていう
自己否定をするモードにはいってたんですよ。
けっこう強烈な。

特に僕、高校ぐらいに一回挫折をして
それから自信がない人間で
ほんとに人の目とか人からの評価とか凄い気にしてたんで。

だから、売り上げがないとか、赤字とか
そういう内情を知られるのはすごく嫌でしたし
人に話すことはありませんでした。

それでも続けてたっていうか、
やめなかったって方が正しいんですが、

そんなときに同友会の経営労働委員会で先輩として
偉そうなことしゃべってたりしました。
同友会と経営労働委員会はずっと続けていました。

あと続けてきたのがメルマガです。

徹底的に関わる

この10年間、申し訳ないなと思うことがあります。

アドバイスってもらうじゃないですか。

でも、そのアドバイスって実行しませんよね?

皆さんにではなくて、
過去の僕に問いかけている感じで聞いていただきたいんですけど、

本気でアドバイスして下さるんですよ。
アドバイスとか助言って。

取り入れたこともあります。
今のベースにつながっているものもあります。

とってもいいアドバイスばっかりだったと思うんです。

でもね僕、
ほぼほぼ、実行できてないです。

だから、売れない状態が続いてたんかもしれないけど。

真剣に本気でいってくださっている。
わかるんですけど。

でも、僕はそれ、ようせんかったんです。
出来なかったんですよ。

自分では結果をだしてないときなのに、売り上げがないときなのに
一切ききませんでした。

なんやろう、このしんどかった頃を考えるとですね、
僕が欲しかったのって
言葉じゃなかったんですよ、たぶんね。

ほんとに徹底的にケツを叩き続けて欲しかった。

やらないとあかんのに出来ない自分なんですよ。
やれよって言われてもやらないんです

だから、
徹底的に関わって欲しかったんかなって思います。

それぐらいじゃないと実行しないんです。

でね、そんな人、多いんじゃないかと思っています。
僕は、これが欲しかったから、
今「徹底的にかかわること」をやってます。

お客様にやってる、つもりでいます。

ちょっと話を戻して、セミナーを始めたころ。7年前ぐらい。

最初は無料のセミナーをやってて、

お金をいただくセミナーをやるようになって、

そこに来ていただいた方から最初の顧問契約をいただきました。
2014年ぐらいだと思います。

それでも自分でやるしかない

ほんとにギリギリの、お金がなくなってギリギリの時で

その契約をほんとにもらえなかったら
僕は会社を続けられてなかったっていう状況で
もらえた契約やったんですね。

この時、最初に関わったお客様って
僕もしんどかったですけど、
そのお客さんも凄いしんどい厳しい状況で

でもその状況でもなんか信用してもらえて

なんとかうちの会社がギリギリ回るっていうか、
僕も生活をできるぐらいのものもいただけて
やらせてもらえるようになって。

結果から言うと、
いい数字を出せました。

それまで赤字だったお客さまを
関わって1年で黒字に転換できました。

何でもやりました。
面談から会議から
タイムカードのプログラムまで。

聴くことから伝えることまで。

お客さまからも「ありがとう」って言ってもらえました。
嬉しかったです。

でも、結果を出したのは、
社長さんであり、社員さんなわけです。

僕が出したわけじゃないんです。

僕がやったことって、
皆さんが結果を出すための支援でしかないわけです。

何でもやろうとして、でしゃばりすぎて、
やりすぎたんじゃないかなぁ?って。
思うこともあったんです。

 

しんどかった頃って、
僕は自分では決められないない人でした。

誰かにやってほしかったし、僕がやるべきことを決めて欲しかった。

だからお客様にやりすぎることがありまして、
結果、良くない状況になることもありました。

今思うのは

自分でやるしかない

っていうことなんですよね。

誰かにやってほしいけど、自分でやるしかない。
10年かかってこんなことに気づきました。

だから、だからこそ
今僕は、お客さまが自分でやるにはどうしたらいいかっていう
関わり方を一生懸命やっています。

手を出しすぎるのはもうやめようと決めて、今はやってます。

でも僕は、アドバイスでは動かない人間です。

僕がやってほしかったのは、尻を叩いてもらうことです。

徹底的に関わること
毎日毎日関わること

こういう関わりをしたら、
お客さまに行動を続けてもらえるかなってことを
僕が続けることです。

自信を持って働く人を増やす

お客さまには、
無理をするんじゃなくて
自分らしく毎日仕事してもらえたらなって思います。

自信を持って働いてほしいと思います。

今、僕が、実際にちょっとだけ
行動ができてきて、自信ができてきたのは、

これまで何かしら、やってきたことです。

やったこと、続けてきたことっていうのが形になって
自分の中でちょっとだけ自信になったことが多いと思います。

過去のしんどかった頃って
僕は、表現的には「必殺技」が欲しかったです。

これさえあれば大丈夫っていうもの。ツール。ノウハウ。
ウルトラマンのスペシウム光線。

これさえあれば、
コンサルタントとして生きていけるっていうツール。
が欲しかった。

大阪とか京都とか、いろいろ仕入れに行きました。

でも、やっぱりツールって
土台がないところにいくら振りかざしても
全然使いもんにならないですね。

使うためのベースになる部分が必要で、
ちょっとかじっただけで、売れる!なんてありえない。

じゃあ、そのベースになるところって
どこにあるのか?

というと、
自分の中にあったと思っています。
自分がこれまでやり続けてきたこと。

だから僕は、そういう土台を見つけることを、
お客さまとの最初の関わりの中でやっていってます。

土台の上にお客さまが無理をせずに経営をされる。
お客さまらしく経営をされる。

会社が自然に回っていく。

そういう方が増えることで、
僕自身の経営とか売上げとか生活が安定して

その安定を、僕の次の土台として、
次は子供たちとか、その親御さんとかが、
自信持って働けるように。

「自信を持って働く人を増やす」
これから、僕が働くテーマとしています。