行動が目的にあっている
最近、
目的について考えるきっかけが2回ありました。
その対比が印象的だったので、整理して書きました。
「このあいだ、△△ということがあって・・・」
ちょっと意外なことが社内であって、
それは、これまででは考えにくい変化だったので。
「そのことに戸惑っていた」
とのことでした。
よく考えると、
「その△△は、目的である○○にあっていた」
「3年後の目標である□□の実現につながりそう」
結果として、△△は歓迎すべきことだった。よかった。
と、続きました。
目的を明確にされていたので、
起こったことの評価をしやすかったようです。
目的はしんどい
もう一件は目的を掲げたことで
しんどくなった話。
「『○○という目的を掲げたからには、
何が何でもその目的を達成しなければならない!』
と、考えてしまっていたけど、
やろうとしていることは、自分の手に余ることもあったかも。」
例えば僕は
プログラミング教室の会員の皆さんに
プログラムを作れるようになってほしいと思っています。
これが目的です。
ですが、
実際のところ、プログラミングできるようになるかどうかは本人次第です。
例えば、
教室に来られない方、メッセージに反応がない方を
プログラミングできるようにすることは僕にはできません。
「みんなにプログラミングできるようになってほしい!
何とかしなきゃ!」
って、手に余る部分まで何とかしようとしていた時もあって、
めっちゃしんどかったです。
目的を示すと、義務感が生まれて、
しんどくなることがあります。
目的について
目的を明示したことで、
- やりやすくなったこと
- しんどくなったこと
この対比がすごく印象的でした。
それでも、目的を示して、そこに向かおうとするから、
しんどくもなるわけです。
目的を持つことでプラスになることの方が多いと思います。