待つべきか、待たないべきか、

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カラマーゾフの感想の続き

カラマーゾフの兄弟を読んだ感想の続き。


※※思うまま書いたので、長いです。

※※それでも良ければ、どうぞ。
 
 

僕はカラマーゾフの三兄弟のうち、
次男のイワンに一番近いように感じます。
 

理想の実現が正しいと思いながらも
現実にはそれが不可能と感じている。
 

「神は信じるが、
 神の作ったものは信じていない」

こんなことをいう人物だとか。
※まだ、その部分を読んでいません。
 

「カラマーゾフの兄弟を読む会」で
意見交換があったんですが、理解しがたい部分のよう。

僕は何となく理解できます。
※変わり者ですから。
 
 

信じて、待ちたい

昨日のブログでも触れた「大審問官」は
そのイワンが描いた物語。

民を信じ、ここまで上ってくるのを待つ。
だから、奇跡も神秘も権威も不要。

なのか、

民は弱い、与えてやらなければ。
民も与えられることを期待している。
そのために、奇跡や神秘や権威が必要。

なのか。
 

ここが、子どもとの接し方で、
僕が感じている葛藤と同じことなんです。
 
 

やりたいと思うことを実現するために
自分からやるはずだ。

だから、信じて、待ちたい。

という理想と
 

でも、自分からやるのを待っていたら、
やりたいことを実現できないんじゃないか。

やるように、強く言うべき。叱るべき。

という現実との間を
行ったり来たりしています。
 
 

信じるべき?

信じる方がいいのはわかっている。

信じきれないから、
 

相手のために、
「言ってあげる」
 

言ってあげたのに、

「言った通り、思った通りに
 動いてくれない、やってくれない」

 

だから、もっと強く言う。

叱るが怒るになっていく。
 
 

こんな構図がわかっていても
解決方法がわからないというジレンマ。
 

宗教と教育。

テーマは違うけど、
イワンも同じようなことを言いたいんじゃないかと
感じています。
 
 

信じる

信じるか信じないかという比較だと、
「信じる」が正しいと僕は言いきれます。

でも、親として、
信じるべきか信じないべきかという比較だと
どちら正しいのか、僕にはわからないです。
 

信じて、待ったときに、
実現できない可能性をどうとらえたらいいか
わからないです。
 

そこは
子どもたちが自分で乗り越えるべきと
わかってはいるんですけどね。
 
 

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